2014年

10月

01日

駿府キリシタン殉教の足跡を辿る

先日、清水区の教派を越えた「牧師会」で、静岡で殉教したキリシタンたちの足跡を辿った。

 

 今回の目玉は牧ヶ谷の耕雲寺。静岡の街中から離れた、静かな山間にあるお寺だ。かつて、家康の家臣だった原主水(はら・もんど)は、キリシタンであることをやめなかった為、両手足の指と、足の節を切られた上、額に十字架の烙印を押されて、安倍川の川べりに捨て置かれた。そんな主水を助けて介抱したのが、耕雲寺の住職である。耕雲寺の僧侶たちによって命長らえた原主水は、不自由な体のまま江戸に出て布教し、捕えられて処刑される。耕雲寺は、悪しきキリシタンを匿った罪のゆえに廃寺。住職もまた処刑された。

 

この出来事は、恥ずべき歴史として長年、封印されていた。この出来事を明るみにしたのが、静岡で郷土史を研究していた聖公会の信徒のOさんである。耕雲寺には卵頭石(らんとうせき)という、戒名の消された石が並んでいるが、その背景は分からないままだった。近年、この卵頭石は、処刑され、戒名を奪われた住職たちのものかもしれない…という説がある。今では、戒名のない墓石を持つに至った記念碑が、耕雲寺の敷地内に立っている。過去の「恥ずべき歴史」は「誇りの歴史」として扱われるようになったのだ。

 

原主水の信仰、住職の命がけの慈悲、埋もれた歴史を掘り起こした郷土史家のOさん…それぞれを想うと、胸が熱くなる。と同時に、「命がけの慈悲」すら「恥ずべき歴史」として封印しなければならない「状況」があったことに暗い気持ちになる。良いことを良いと言えないとは、一体どういう状況なのか。それは「今の時代はカンケーない」と言えるものなのか。

 

同じ敷地内には「牧谷山古墳」と言われる洞窟が点在するのだが、その一つは主水が匿われていた場所の可能性もあると言う。そこは、本当に小さな洞窟だ。主水が捨て置かれた安倍川の近くには、今、静岡で殉教した人々を覚える小さな記念碑がひっそりと立っている。

2014年

5月

21日

はじめまして

とある先輩牧師の話。

「先生のクリスマス説教はいつも新鮮」と言われたそう。「そうか、そうか」と気を良くしていたら、「自分は、先生が前に何を語っていたか、クリスマスになる度に忘れるから」と、言われたんだとか。

 

 そんな話を思い出すのは、今度の礼拝の聖書箇所が、清水で語る四度目の聖書箇所だから。もう、この箇所の説教に入れられる例話は使い果たした。それだけならまだいい。このままだと、構成も方向も、たぶん、過去のどれかと同じになる。そんな時、冒頭の話を思い出し、「大丈夫、多分、みんな忘れている」と、すがるような思いで(違う意味では、へこみつつ)期待してしまう。

 

 かつて、幼稚園の教諭をしていた信徒のKさんが、こんなことを言っていた。「幼稚園で歌を教えていると、『この行事には、この歌しかないな』という歌があるのね。たとえば七夕の歌。園の先生の中には、『もう、何度か教えている歌』という、気のゆるみが出て、教え方がいいかげんになる事があるの。そんな時、『この歌を、はじめて歌う子もいるんですよ。だから、わたしたちも、はじめて教えるつもりでいましょうね』と伝えるのよ」。

 

 ぎゃふん、である。どちらかというと、気も体もゆるみっぱなしの身としては、耳が痛い。新しい気持ちで、聖書に出会う。新しい気持ちで、聖書を読む。新しい気持ちで、聖書の言葉を語る。新しい気持ちで、聖書を分かち合う。ああ、その大切さを、新しく胸に刻みたい。今週も、新しい気持ちで聖書を読む格闘の週が、半ばを過ぎようとしている。

2014年

1月

29日

広島への旅

 先日、仕事で広島に行ってきた。高校2年の修学旅行以来の広島だから、5年ぶり(・・・すみません、嘘つきました。軽く21年前でした)。せっかくなので自費で前泊。実際の仕事時間までに、広島城を見に行き、天守閣まで登った。

 歴女(れきじょ・歴史好き女子の事)として、この上ない幸福…に見えたが、江戸時代から続く広島城は194586日の原子爆弾投下で天守閣は倒壊、門や櫓(やぐら)は焼失している。原爆で焼失した二の丸の表御門や、いくつもの櫓は、戦前の写真・図面や発掘調査の成果を元に、1994年 までに、木造で江戸時代の姿に復元されたという。思えば、日本にある城の多くは、戦火で焼失・戦後再建というものが多い。「1994年って最近のことじゃん」。そう思いながら、めぐり歩いた。

 仕事の会場となった広島教会のH牧師から、空いた時間に被曝瓦を見せてもらった。「教会」が原爆の犠牲になったしるしだ。当時の教会が、原爆によって倒壊した様子を絵にしたものを共に見ながら、何の言葉も見つからなかった。

 翌日、ミーティングを終えて、仕事仲間数人で、広島駅までタクシーに乗った。「広島って、道が広いんですね。どうしてでしょう?」と問う友人に、当初は「そうですかね」と笑っていたドライバー氏が、「原爆が落ちたでしょ?そのあと、県知事だったか市長だったかが、『次にこういう大きな戦争になった時の防災対策で、道路を広くしよう』って呼び掛けたんですよ」と、静かに語った。思わず息をのみ、押し黙る私たちに、ドライバー氏は「そりゃあ、もう、(発言は)問題になりました…。でも、結果的に自然災害の『防災』の対策にはなったんですけどね」と語った。

 仕事を終え、清水に戻って来て、「長崎県議会前議長で自民党のM県議が、2月2日の知事選で再選を目指す現職の個人演説会で、『原爆や水爆をたたきつけるような力で選挙を決めてほしい』と発言していた」とのニュースを知った。M議員は年齢的に、あの戦争を知っている世代だ。絶句。何という卑劣な表現をするのだろうか。

 広島も、長崎も、美しい町だ。美しく再建したのだ。だが、広島と長崎に原爆が落ちた事は ― 約70年前に、戦争があったのだというまぎれもない事実は ― 、けっして「むかしむかしのはなし」ではない。今また、重く冷やかに、のし掛かっている。

 

 

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2013年

11月

15日

う・ら・め・し・や

 市内を走る小さな電車に乗った時のことだ。父親らしき人と2人の男の子が電車に乗って来た。2人の男の子は、目に映るもの、耳に聞こえるものが、どれも面白いらしく、笑い転げて、車両内の椅子ではしゃいでいた。空いた車内では、その光景は、のどかで微笑ましかった。

 そのうち、2人のうちのお兄ちゃんらしき子が、笑いながら「古典的な怪談話」を始めた。何となく耳を澄ませて聞いていた私。話が佳境に入り、「さあ、そろそろ『う~ら~め~し~や~』って来るな」という所で、お兄ちゃんらしき子は、自信満々に言った。「め~ん~そ~う~れ~」。  

 その瞬間、私も、車両にいた大人たちも、「はっ?!」となって、一斉にそのお兄ちゃんを見つめた。それまで、2人がどれだけ転げまわっても、どれだけ大きな笑い声をあげても、とりたてて注意をしなかった父親らしき人まで、すかさず「そこ、『うらめしや』だからな!」と注意した。「あ、そこは注意するんだ(笑)」と思ったのは私だけではなかったらしく、そのあと何人かが、笑いをこらえて3人を見つめていた。死しても尚、化けても尚、訴えたい恨み。それが、思いもかけずに歓迎の言葉になってしまったなんて!幽霊、痛恨のミスである。今、思い出しても、ちょっと可笑しい話だ。  

 数ヶ月前、「やられたら、やり返す。倍返しだ!」という決め台詞のあるテレビドラマが放映されていた。その台詞が人気を博し、回を追うごとに、「10倍返しだ!」「100倍返しだ!」と大仰になっていった。人気が出たのも頷ける。やられたら、やられたままでは終わりたくないのは、人の常ではないのか。

 私の中に「やられたら、やり返せ」という本音がある。だから、「憎しみの訴えが、歓迎の言葉になった怪談話」が、とても可笑しく、そして、どこか切なかった。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と語ったキリストの言葉を聖書は記す。実に主は、そのように生きた。私たちは簡単に、その言葉を引用して、赦しや愛を他者に強制する事は出来ない。ただ、主の語った言葉の重さと意味を、折に触れて想起することが出来る。自らの愛の限界に気づかされる中で、神の愛の広さ、高さ、深さについて、ただただ思い知らされるのだ。

2013年

8月

09日

花でかざって

「花でかざって」

花でかざってあげましょう
平和と愛と真心の
熱いと叫んだあの子らの
声を忘れてしまわぬように

花でかざってあげましょう
平和と愛と真心の
あの子の涙が七色の虹に
光って消えるように

花でかざってあげましょう
平和と愛と真心の
あの子の渇きが冷たい泉の
湧き水で止まるように

花でかざってあげましょう
平和と愛と真心の
「生きたかった」と泣きながら
死んだあの子を忘れぬように

花でかざってあげましょう
平和と愛と真心の

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 4
年半通った長崎の小学校で、8月の登校日に歌っていた詩。もの悲しくもあたたかいメロディに合わせた歌詞に、「自分と同じような年頃で亡くなった、数多くの『あの子』がいたのだ」と知った。それは、とても重い出来事だった。


わら半紙に印刷された、手書きで縦書きの歌詞。
黙祷を促す、サイレンの音。

8月になる度に思い出す。

 

 Youtubeで検索かけてもヒットしない歌なので、そうとうローカルかつ、限られた時期に歌われていたものなのかもしれない。母校は、長崎版「都市のドーナツ化現象」で統廃合になった。戦時中は、病院として使われていたと、聞いている。きびしい時代を通ったその地に、今は、市立図書館が建っているらしい。