君の名は

 「静7132」。清水区で、かつて、誰もが価値を見出さなかった茶の樹についていた記号だ。「静7132」の唯一無二の個性は、桜の香り。それは、茶農家の方々にとっては、好ましくない個性だった。お茶らしい香りがあってこその「茶」。「静7132」の香りは、余計な香りだったと言える。

 だが、「静7132」の個性に惚れ込んだ茶農家さんがいた。望月さんという。「静7132」を愛した望月さんは、丹精込めて「静7132」を育てた。育てた茶の葉に名前がないのはかわいそうだからと、「まちこ」という名前もつけた。そうして市場に出た「まちこ」。「余計な香り」、好ましくないと判断されていた個性は、「まちこ」の最大のウリになった。一躍「まちこ」は、清水区を代表するブランド茶になったのだ。今は、区をあげて、この「まちこ」を大切に育んでいる。

 多くの人が「好ましくない個性」と思ったものを、別な人が惚れ込んで、愛を込めて育んだら、それは「尊い個性」になった。なんてステキな話だろうか。愛の豊かさを思わずにいられない。愛を込めた時、それは尊いもの、かけがえのないものになっていった。最初から「好ましい個性」「愛するにふさわしい者」があるわけではない。愛しぬこうとする方がいた。「そこが魅力なんだ」と慈しむ方がいた。記号で呼ぶのではなく、名をつけて呼ぶ方がいた。そうしてはじめて、「静7132」は、「まちこ」として…愛されるものとして、世に出たのだ。

 ともすると、人の個性を好ましいと思わずに、眉をひそめたくなることがある。「愛すること」は、とても難しいことだ(ましてや、好ましいと思えないところならなおのこと)。そういう「愛のないわたし」を愛してくださる神がいることの意味について、「まちこ」は思い起こさせてくれる。

 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(聖書)

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