駿府キリシタン殉教の足跡を辿る

先日、清水区の教派を越えた「牧師会」で、静岡で殉教したキリシタンたちの足跡を辿った。

 

 今回の目玉は牧ヶ谷の耕雲寺。静岡の街中から離れた、静かな山間にあるお寺だ。かつて、家康の家臣だった原主水(はら・もんど)は、キリシタンであることをやめなかった為、両手足の指と、足の節を切られた上、額に十字架の烙印を押されて、安倍川の川べりに捨て置かれた。そんな主水を助けて介抱したのが、耕雲寺の住職である。耕雲寺の僧侶たちによって命長らえた原主水は、不自由な体のまま江戸に出て布教し、捕えられて処刑される。耕雲寺は、悪しきキリシタンを匿った罪のゆえに廃寺。住職もまた処刑された。

 

この出来事は、恥ずべき歴史として長年、封印されていた。この出来事を明るみにしたのが、静岡で郷土史を研究していた聖公会の信徒のOさんである。耕雲寺には卵頭石(らんとうせき)という、戒名の消された石が並んでいるが、その背景は分からないままだった。近年、この卵頭石は、処刑され、戒名を奪われた住職たちのものかもしれない…という説がある。今では、戒名のない墓石を持つに至った記念碑が、耕雲寺の敷地内に立っている。過去の「恥ずべき歴史」は「誇りの歴史」として扱われるようになったのだ。

 

原主水の信仰、住職の命がけの慈悲、埋もれた歴史を掘り起こした郷土史家のOさん…それぞれを想うと、胸が熱くなる。と同時に、「命がけの慈悲」すら「恥ずべき歴史」として封印しなければならない「状況」があったことに暗い気持ちになる。良いことを良いと言えないとは、一体どういう状況なのか。それは「今の時代はカンケーない」と言えるものなのか。

 

同じ敷地内には「牧谷山古墳」と言われる洞窟が点在するのだが、その一つは主水が匿われていた場所の可能性もあると言う。そこは、本当に小さな洞窟だ。主水が捨て置かれた安倍川の近くには、今、静岡で殉教した人々を覚える小さな記念碑がひっそりと立っている。